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こんにちは、fukumomo3_Photo(@fukumomo8_com)です。
人生に迷った私と、行き場を失った犬の物語
私は45歳にして、人生に迷っていた。
迷ったというより、どこへ向かえばいいのかすら分からなくなっていた。
ある春の日、相方に手を引かれるまま訪れた保護施設。
そこで出会ったのが、ひとり静かに私を見つめる、ミニチュアダックスの「ライム」だった。
同じだった。
人生に行き場をなくし、助けを求めていた。
これは、そんな私とおっさん犬が、一緒に旅に出た話だ。
運命なんて信じていなかったけれど、きっとこれは、何かの巡り合わせだったんだろう。
おっさん犬とふたり旅

第一話:雪国の保護施設で、おっさん犬と目が合った日
おっさん犬と出会ったのは、雪国の保護施設だった。温かい春の日だった。相方が保護犬に興味を示していた私の手を引っ張って連れていったのが始まり。手を引っ張ってというと子供のようだが、あの時の私は、子供だったと思う。わがままで、自己中心的な考えをもった大人にも子供にもなりきれない見苦しい大人だった。相方は、大人であり社会生活も社交性もある立派な大人で、一般的に普通と言われる人だと思う。その普通の大人と見苦しい大人ふたりで保護施設を訪れたのだった。丘の上に建つ大きな建物が見えてくる。想像していたよりも大きな建物ですこし緊張する。普通の大人も少し緊張しているようだった。大きなガラスドアを押し開けカウンターにいる受付の男性に声をかける。「見学に来たのですが、よろしいですか」というと、にこやかに受付簿をだしてくれたので、住所と電話番号を記入する。その項目の中に、『訪れた理由』というのがあった。
『訪れた理由』少し悩む。そう、訪れた理由があってないような感じだったからだ、いや、本当のことを言う。理由は、いい人になりたかった。それだけである。私は、今までの人生でいいことや、いい人と言われることをしてきていない。誇れることもない。自慢することもない。隠したいことならタンスから溢れるぐらいあって、隠したいことでゴミ屋敷が完成だ。そんな人生を45歳までおくってきたのだから、そろそろいいひとになりたくなったってのが、本音であり、この先の人生ぐらいは、人のために生きることはできなくても、保護犬なら幸せにできるのではないか?幸せにすればいい人認定してもらって死んだら天国に行けるのではないかといった、浅はかな願いから保護施設にきました。などと書けるわけもないので、『犬を飼育できる環境が整ったので』と書いた。
施設の人と話をしながら長い廊下を歩く。右を見るといかにも凶暴そうな犬がリードにつながれて暴れている。彼のことを少し考える。あれが私だったらと考える。リードに繋がれて暴れる犬。もしかしたら今の私は、あの犬のように暴れている犬なのかもしれないとおもった。私は、45歳まで長距離のトラックドライバーとして働いた。昔家族もいた。事情があり別れたが、おとうさんと呼ばれた日もあった。家族と呼べる家もあり責任と義務をはたそうと努力する、いわゆる普通の働く人だったと思う。いや、思いたい。いやいや違う、そうじゃない、私は、人生から逃げたのだ。もう、綺麗事はやめよう。私は、この時アルコール依存症で生きる意味を無くしていた。「意味を探すためここに来ました。助けてください」と素直になろう。
凶暴な犬に素直な自分を思い出させてもらい感謝しながら、先に進んだ。扉をあけると掃除の行き届いた保護犬や保護猫のいる部屋だった。正直、保護施設のイメージは、それほどキレイなイメージはなかったのだが、かなりキレイだったので少し驚いた。ちょっとしたおしゃれなペットショップよりもキレイなのではないかとと感じる。左をみると猫がこちらを見ている。ブランドの猫からトラ猫までさまざまな種類の猫がいて、ケージの前には写真付きのプロフィールが大きく貼られていた。老眼をかけなくても見えるぐらいの大きな文字で書いてあるので、隅々まで、皆のプロフィールを読み漁る。あることに気が付く、皆年齢が高いのだ。違和感を感じたので、施設の方に、理由を尋ねる。
お年寄りと暮らしていた猫が多いことや、共に暮らせなくなって保護施設にいる犬や猫やウサギが多いことを伝えてくれた。施設の動物は、理由があってここにいる。そう、ここに来た私にも理由がある。それを運命というのならば運命なのだろうが、動物たちの運命は、人間が決める。私の運命は、私が好き勝手やってきた結果ここにいる。これは、大きな違いだ。この猫は、人間のエゴで生まれ人間のエゴでここにいるのだ。と、私の中でちょっとだけいい人ぶった偽善者ぶった考えが浮かんだりした。しかし、結局はかわいいとか、この犬懐くかな?などといったエゴでまたこの犬や猫はもらわれていくのだろう。多分に漏れず私も、その中の一人だということだ。
突き当たりのドアを開けると犬のスペースになった。すると、どこからか視線を感じる。けたたましく吠える犬が多い中、静かに私を見つめる犬が一人いた。プロフィールを見ると、ミニチュアダックスのダップルで名前は、『ライム』だった。珍しい毛の色だったので目にとまったのかどうかはわからないが、目があったのは確かだ。本当のところ、飼育環境は、それなりに広い場所が作れたので中型犬と暮らしたいと願っていた。しかし、ほかの犬を見るたびに、『ライム』の視線を感じる。再びもどり、施設の人にどのような経緯でここにいる犬なのかを詳しく聞いてみた。
飲食店で飼育されていた犬だったこと、そこに嫁が来て孫ができたので邪魔になったこと、狭いケージでずっと飼われていたこと、などを知った。よくわからないが聞いていたら涙が出た。『ライム』の目を見る。この犬も私同様に、助けてくださいと訴える目をしている。助けてもらいたくてここに来た見苦しいおじさんと人間に捨てられてても、なおまた人間に助けを求める犬が愛おしかった。そう、私も人間に裏切られても、やはり人間を信じることでしか生きることができないと知っているからだ。目があった理由が、わかった。私たちは、似た物同士だといったことだ。ケージを開けてもらい『ライム』を抱く。嬉しそうに頬を舐める口が臭い。私もおっさんなので口が臭い。ここでも似た物同士がわかる。不思議なつながりを感じて、係の人に保護したいと告げる。少しの審査をしてもらった結果『ライム』は私の伴侶となった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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